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カンブリア宮殿のエイトワン社長・大籔崇さんの回の編集後記の一部です。

意欲的な若者は「自分は無力だ」と認め、「だが無能ではないはずだ」と、あるとき何らかの賭けを試みる。崖からジャンプする感じだ。そして、賭けについて客観的に分析し、着地とともに、目標と出会う。見つけるのではなく、出会うのだ。

http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20150611.html

村上龍さんの考察です。

さすが、鋭い人だと感じます。

この出会うまでのプロセスが「目標の見つけ方」と捉えることもできると思います。

つまり、「何かしらの選択肢が自分の目の前にいろいろとあって、その中から探す」のではないということですね。

「自分は何かができるはずだ」という想いを持ち、何かしらの仮説を抱えて世界に問いかけてみる(実行してみる)。
そこからのフィードバックを受けて、考えたり・観察したり・また行動しているうちに、ズンッと目標に捉えられるような感じ。

そのときにどういった感覚なのかは人によっても違いそうですが、自分の場合には次のような印象です。

「いやいやいや、それはちょっと無理でしょう」
「でも、もし出来たとしたら、すごいことだな」
「もしかして、物凄く頑張ったとしたら、手が届くものなのかも」
「でも、それってすごく覚悟のいることだよね」
「人生の何かを犠牲にするような覚悟が必要」
「それでもやってみたいだろうか」
「・・・やってみたいかも」
「しかし、それで本当に食べていくことができる(継続的にやっていける)のだろうか」
「成功したら賞賛してくれる人もいるだろうけれど、失敗したらいい笑いものだ・・・」
「失敗したとしても、後悔しないでいられるだろうか」
「もっと何かいい他の道も、あるんじゃないの?」

てなふうにグジグジしながら、それでも少しずつやっていく。

やっていくうちに、のめり込む。

のめり込むというのは、楽しくてたまらない感覚ではなく、「大変で面倒なことだけど、それをやるのはすごいイヤではなく、持続的に知的興奮を得られ、たまにご褒美のようにとても愉快なことが起こる」感じです。

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